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2017/08/21 06:17 |
力道山その11

1956年に公開された『怒れ! 力道山』(東映東京)では、国会議員に指示された鉄砲や日本刀で武装したヤクザとキャバレーで格闘して負傷するシーンがあり、力道山の死に方に似ていると話題を呼んだ。

主な主演作品
1952年 薔薇と拳銃 監督志村敏夫、主演鶴田浩二 ※映画デビュー作
1954年 力道山の鉄腕巨人 監督並木鏡太郎、共演松島トモ子
1955年 力道山物語 怒涛の男 監督森永健次郎、共演河津清三郎、美空ひばり
1956年 力道山 男の魂 監督内川清一郎、共演宮城まり子、森繁久彌
1956年 怒れ! 力道山 監督小沢茂弘、共演早川雪州、杉狂児、益田キートン
1957年 純情部隊 監督マキノ雅弘、共演星美智子、東千代之介
1959年 激闘 (映画) 監督岩城其美夫、共演南原伸二、三上真一郎 ※生前最終作
1983年 ザ・力道山 監督高橋伴明、音楽山下洋輔 ※ドキュメンタリー 

テレビドラマ
2本のテレビドラマに出演している。

1955年 力道山の夢 作青江舜二郎、共演伊藤彰敏、伊東絹子 ※日本テレビ、単発ドラマ
1962年 チャンピオン太 作梶原一騎、監督高橋繁男、共演豊登、死神酋長、九州山 ※国際放映・フジテレビ、連続ドラマ 

演じた俳優
力道山をテーマにした映画、テレビドラマ作品がある。

ソル・ギョング - 『力道山』(監督ソン・ヘウン) 

参考書籍
土肥修司 1993 『麻酔と蘇生』(中央公論社) - 死因に関する外科医の証言
原田久仁信作画、原康史原作、百田光雄監修、2003 『プロレスヒーロー列伝 力道山 苦難のアメリカ修行編』 (実業之日本社)
「国会会議録・第46回国会予算委員会第4分科会第2号」

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2008/07/10 00:15 | Comments(0) | TrackBack(0) | 力道山
力道山その10

力道山の素質に惚れたボビー・ブランズは、ハワイ興行に力道山を誘うが、新田社長への恩義を感じる力道山はハワイ行きを打ち明けられず、日新プロダクションの永田貞雄に相談する。永田は、横綱千代の山の贔屓筋で、浪曲や歌謡曲などの興行を手がけている人物であった。永田が新田を説得し、力道山はハワイへ行くことになる。

1952年2月17日、ハワイ・ホノルルのキングストリートにあるシビック・オーデトリアムで、力道山は記念すべき海外遠征初試合を行う。相手はチーフ・リトル・ウルフというインディアンレスラーで、勝利を収める。ハワイでのプロレス興行は黄金時代で、日系人1世、2世の観客の間で力道山人気は爆発した。このとき力道山をハワイでコーチしたのは、後の日本プロレスでレフェリーとなる、沖識名であった。黒のロングタイツに空手チョップというスタイルは、この頃ハワイで作られた。

その後、1952年6月10日に、アメリカ本土のサンフランシスコへ乗り込む。


タイトル履歴
日本ヘビー級王座(初代王者。日本ヘビー級王者を名乗ったのはプロレス史上力道山だけである)
世界タッグ王座(シャープ兄弟から獲得。パートナーは遠藤幸吉。短期間の保持だった。)
WWA世界ヘビー級王座
インターナショナル・ヘビー級王座
アジアヘビー級王座
アジアタッグ王座(パートナーは豊登、吉村道明)
ハワイ太平洋タッグ王座 (パートナーは東富士)

フィルモグラフィ
力道山は生前、28本もの映画に出演した(1952年 - 1959年)。日本プロレス発足以来、映画各社から出演がオファーされた。人気絶頂期の力道山は、映画スターでもあった。



2008/07/10 00:14 | Comments(0) | TrackBack(0) | 力道山
力道山その9

相撲界側で比較的力道山に好意的な証言者の一人として、二所一門の弟弟子だった横綱若乃花幹士 (初代)がいる。その著作などを読むと、気性は荒くしごきはきついが、稽古熱心なものには徹底的に目をかける兄弟子像が浮かびあがる。しかし、その若乃花にとっても「力道関」はもっとも恐ろしい兄弟子だったらしい。若乃花が夜遊びのために部屋を抜け出した際、オートバイを駆って追いかけ強引に連れ戻したのは、若乃花が脱走したと勘違いした力道山であった。ちなみに、プロレス時代の力道山が常に黒いタイツを着用し、素足を見せなかったのは、大相撲時代に、若乃花がしごきに耐えかね、力道山の足に噛み付いた時の歯形が残っていたからとも言われている。

珍記録としては、3場所連続で同じ相手(前田山)から不戦勝をあげるなどした。また、最後の優勝旗手になった力士でもある。

プロレス修行
二所ノ関部屋を自ら髷を切って引退した力道山は、横綱東富士の後援会長、関東国粋会系新田建設(新田組)社長の新田新作の下で働く。新田は、力道山の相撲界復帰のために尽力するが、結局実現しなかった。

力道山は同じころ、プロレス慰問興行のため来日中のハロルド坂田(トシ東郷)に出会う。ハロルド坂田はハワイ生まれの日系二世で、ロンドンオリンピック重量挙げのアメリカ代表で銀メダリストだった。当時のハロルドはハワイの英雄として売り出し中のプロレスラーで、日本でのプロレス興行のプロモートを模索している途中だった。ハロルド坂田に誘われて、力道山は1951年10月28日、メモリアルホール(旧国技館)で、統一前のNWAの元世界チャンピオン、ボビー・ブランズとエキジビジョンマッチを行い引き分ける



2008/07/10 00:04 | Comments(0) | TrackBack(0) | 力道山

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