プロレスラーの百田義浩(元プロレスリング・ノア取締役)、百田光雄(現役・プロレスリング・ノア副社長)は力道山の実息。当時の厳しい差別などもあってか自らが朝鮮人であることは生前は周囲に隠して生きており、力道山主演映画「力道山物語」でも「長崎県の貧しい農家で生まれ育った」という設定になっている。亡くなる10ヶ月前に結婚した田中敬子(元日本航空スチュワーデス。死後、百田姓から抜けた)はそのことを知っていたが、実息であった二人の息子は父である力道山の死後に知ったということである。
力道山は実業家としても成功し、赤坂に「リキマンション」と名づけたマンションの奔りである高級賃貸住宅を建てた。渋谷には「リキ・スポーツパレス」という地上9階建てのプロレスの常設会場を作り、その中には「リキトルコ」やビリヤード場、ボウリング場などを併設した「リキレストラン」を建設した。ボクシングジム経営にも進出している。また日本人の友人と共同で箱根にゴルフ場を経営する計画があり設計までに至っていたが、上記の急死によりこの事業は消滅した。死の少し前には、相模湖畔にも、大規模なゴルフ場、「相模湖レイクサイド・カントリークラブ」の建設を始めていた。広大な土地を購入し、会員権を販売し、一部工事にも取りかかったが、死去により未完に終わった。跡地は売却されて、現在、さがみ湖ピクニックランドとなっている。
死去した日と同日に4代目の鈴々舎馬風が中風で死去したがスポーツ紙の一面が力道山の死で埋め尽くされたため一段のベタ記事扱いとなった。しかしそれをマクラにした落語家はいなかったという。
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