また、相手を威嚇するためにガラスのコップをバリバリと噛み砕いて飲み込む「人間ポンプ」という芸を持っており、ごく機嫌のいい時か悪い時に披露したという。
大きいイメージを持たすため実際より5㎝身長をサバ読みした。それにより後の世代のレスラーも皆最低5㎝サバ読みしなければならなくなった。
このように、力道山は素行の面でいろいろと問題はあったが、日本のプロレス界の礎を築いた最大の功労者であることは間違いない(その人気と功績から、広辞苑にも名前が載っている)。生前は朝鮮人であることがほとんど知られていなかったこともあり、白人レスラーを次々と倒す姿は戦後日本人の一種愛国的な感情をも揺さぶり、国民的ヒーローとして熱狂的な人気を得たという点ではスポーツに限らず後にも先にもこれだけの存在はいない。テレビの普及にもはかりしれない貢献があった。
力道山の死後プロレス界を支えた両巨頭であるジャイアント馬場、アントニオ猪木も力道山の弟子であった。力道山は、プロ野球出身で知名度もあり、肉体的に恵まれていた馬場をスター候補としてデビュー当時より特別扱いしていたが、猪木への対応は「靴べらで顔を殴る」「飼い犬を番犬として教育する際の実験台にする」など極めて冷酷なものであったと言われている(猪木自身が一部語り、古いスポーツ紙の記者もそれを書いている)。その一方で、弟子の中で、力道山が本心から一番可愛がっていたのは馬場でも猪木でもなく、同じ朝鮮民族の大木金太郎であったともいう。弟子の教育には合理的な面もあり、一度目のアメリカ武者修行で大成していた馬場が、アメリカ側から催促されていた時に、「お前だけすぐにアメリカに出したら周りの奴に妬まれる」と時間を置いて出発させたという馬場自身の証言があり、まだ付き人だった猪木には「ウェイトが100キロを超したら武者修行に出してやる」と約束していたという(力道山の生前には猪木のアメリカ修行は無かった)。