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2024/03/19 13:10 |
力道山その1プロレス転身以前

力道山(りきどうざん、역도산、1924年11月14日 - 1963年12月15日)、本名は金信洛(キム・シルラク、김신락)、戸籍名百田光浩(ももた みつひろ)。は、大東亜戦争(太平洋戦争、第二次世界大戦ともいわれる)終了後に日本のプロレス界の礎を築いたプロレスラー。大相撲の力士出身であるが日本プロレス界の父と呼ばれている。享年40(満39歳没)。

身長176cm(但し、プロレスラー時代の公称身長は180cm)、体重116kg。朝鮮在住時代に既に結婚し、子供もいたことから、実際は公称生年月日より早く生まれていると考えるのが妥当である。

大相撲力士時代
 
力士時代の力道山の出身は大東亜戦争前の日本併合下の朝鮮半島洪原郡新豐里(現在の北朝鮮統治範囲)とされている。後に長崎県大村市の農家・百田家の養子となった。

二所ノ関部屋に入門し、1940年5月場所初土俵、1946年11月場所に入幕し、入幕2場所目の1947年6月場所に前頭8枚目で9勝1敗の星をあげ、横綱羽黒山、大関前田山、同東富士ら3人と相星となり、この場所から設けられた優勝決定戦に出場したが敗れる(優勝は羽黒山)。翌1948年5月場所では横綱照國とこの場所優勝した大関東富士を破り、さらに横綱前田山には取り直しの末、不戦勝となって殊勲賞を受賞している。1949年5月場所に関脇に昇進するが、1950年9月場所前に突然、自ら髷(まげ)を切り廃業。相撲界から引退時、百田の戸籍に長男として入籍。

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2008/07/09 23:47 | Comments(0) | TrackBack() | 力道山

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