力道山の素質に惚れたボビー・ブランズは、ハワイ興行に力道山を誘うが、新田社長への恩義を感じる力道山はハワイ行きを打ち明けられず、日新プロダクションの永田貞雄に相談する。永田は、横綱千代の山の贔屓筋で、浪曲や歌謡曲などの興行を手がけている人物であった。永田が新田を説得し、力道山はハワイへ行くことになる。
1952年2月17日、ハワイ・ホノルルのキングストリートにあるシビック・オーデトリアムで、力道山は記念すべき海外遠征初試合を行う。相手はチーフ・リトル・ウルフというインディアンレスラーで、勝利を収める。ハワイでのプロレス興行は黄金時代で、日系人1世、2世の観客の間で力道山人気は爆発した。このとき力道山をハワイでコーチしたのは、後の日本プロレスでレフェリーとなる、沖識名であった。黒のロングタイツに空手チョップというスタイルは、この頃ハワイで作られた。
その後、1952年6月10日に、アメリカ本土のサンフランシスコへ乗り込む。
タイトル履歴
日本ヘビー級王座(初代王者。日本ヘビー級王者を名乗ったのはプロレス史上力道山だけである)
世界タッグ王座(シャープ兄弟から獲得。パートナーは遠藤幸吉。短期間の保持だった。)
WWA世界ヘビー級王座
インターナショナル・ヘビー級王座
アジアヘビー級王座
アジアタッグ王座(パートナーは豊登、吉村道明)
ハワイ太平洋タッグ王座 (パートナーは東富士)
フィルモグラフィ
力道山は生前、28本もの映画に出演した(1952年 - 1959年)。日本プロレス発足以来、映画各社から出演がオファーされた。人気絶頂期の力道山は、映画スターでもあった。
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