刺された傷そのものは大したことはなかったのだが、再手術の際に麻酔を担当した外科医が気管内挿管に失敗したことで窒息し、死に至る(担当医が亡くなる直前に著書で告白したことから発覚した)。また付き人であったミツ・ヒライの話によると、麻酔の打ちすぎだったともいわれている。後に実行犯へのインタビューによると、ナイフは根元まで刺さっていたが、出血はほとんどなかったという。ちなみにこの時の看病をしていたのがアントニオ猪木である。
また、一説では術後にもかかわらず、力道山本人が暴飲暴食(炭酸を控えるよう指示があったにもかかわらず見舞い客の前で「大丈夫、大丈夫」とサイダーをゴクゴク飲んだことなど)をした事が原因ともいわれていた。
刺殺事件の顛末
2007年になって、実行犯と目撃者の証言によって刺殺事件の顛末が語られた。
女性と話していた力道山の横を大日本興業構成員が通り掛る際、力道山の足に接触。それに怒った力道山が因縁をつけると、彼は「あんたみたいな図体の男がそんなところに立っていたらぶつかって当然」と言い放つ。激怒した力道山が彼を突き飛ばす。壁に激突し、顎がガクガクになった彼は殺されると思い、懐から登山ナイフを出す。それを見て力道山が「分かった。仲直りしよう」と言い出すが、それに対し彼は「こんな事されて俺の立場がない」と仲直りを拒否。和解を諦めた力道山が彼に覆いかかった時、下からナイフを刺した。ナイフの刃は根元まで刺さったが、出血はほとんどなかったという。
1日目は応急手当を受け帰宅。彼とは内内の話にするため手打ちの契約を行う。
2日目に症状が悪化したため入院、外科医に山王病院へ来てもらい30針縫う手術を受け成功。山王病院は産科婦人科が中心の病院だが、力道山がここを選んだのは、話を大きくしないため親しい医者のいる病院にしたという。
7日目に腹膜炎による腸閉塞を理由に午後2時30分再手術。これも成功したと報告するが、その約6時間後午後の9時過ぎに死亡した。 なお、死因は筋弛緩剤注射した後に気管内チューブの気管挿管を失敗し窒息したという医療事故のためという分析もある。