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2017/04/25 02:12 |
力道山その9

相撲界側で比較的力道山に好意的な証言者の一人として、二所一門の弟弟子だった横綱若乃花幹士 (初代)がいる。その著作などを読むと、気性は荒くしごきはきついが、稽古熱心なものには徹底的に目をかける兄弟子像が浮かびあがる。しかし、その若乃花にとっても「力道関」はもっとも恐ろしい兄弟子だったらしい。若乃花が夜遊びのために部屋を抜け出した際、オートバイを駆って追いかけ強引に連れ戻したのは、若乃花が脱走したと勘違いした力道山であった。ちなみに、プロレス時代の力道山が常に黒いタイツを着用し、素足を見せなかったのは、大相撲時代に、若乃花がしごきに耐えかね、力道山の足に噛み付いた時の歯形が残っていたからとも言われている。

珍記録としては、3場所連続で同じ相手(前田山)から不戦勝をあげるなどした。また、最後の優勝旗手になった力士でもある。

プロレス修行
二所ノ関部屋を自ら髷を切って引退した力道山は、横綱東富士の後援会長、関東国粋会系新田建設(新田組)社長の新田新作の下で働く。新田は、力道山の相撲界復帰のために尽力するが、結局実現しなかった。

力道山は同じころ、プロレス慰問興行のため来日中のハロルド坂田(トシ東郷)に出会う。ハロルド坂田はハワイ生まれの日系二世で、ロンドンオリンピック重量挙げのアメリカ代表で銀メダリストだった。当時のハロルドはハワイの英雄として売り出し中のプロレスラーで、日本でのプロレス興行のプロモートを模索している途中だった。ハロルド坂田に誘われて、力道山は1951年10月28日、メモリアルホール(旧国技館)で、統一前のNWAの元世界チャンピオン、ボビー・ブランズとエキジビジョンマッチを行い引き分ける

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2008/07/10 00:04 | Comments(0) | TrackBack(0) | 力道山

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